小学6年生の時に初めて相姦の扉を開けました・・ [セックス体験]


母と相関関係になって15年過ぎようとしている。この間、母は私の出生の秘密についてこれまで何度訪ねても話そうとしなかった。それが最近になってやっと話すようになって、最初は本当なのかと疑ったほどだった。

最近伯父さんがガンでなくなって母と二人で葬式に行って帰る車中で話し始めたのである。母は実の兄と相姦の関係を長く続け私を産んだんです。当時はお婆さんしか知らなくて、兄妹の間にできた子供だと誰も知らないようにしたそうです。でも伯父さんは他の女性と結婚することをお婆ちゃんにきつく言われ、そのことを条件に子供を産むことを許してくれたのです。

結婚後もしばらくは関係が続いていたそうですが、母も子育てを実家でしばらくしているうちに自然に遠ざかっていたようです。私が母と相姦の関係になったのは凄く早く、いつも母と二人で寝ていたこともあって、母の裸は良くみていたのです。私の子供の頃は良くちんちん触って大きくなってくれば喜んでいたんです。

そんな母と小学6年生の時に初めて相姦の扉を開けてしまったのです。これまでの生活の中では、何時このような関係になっても可笑しくなかったのですが、母が不妊手術をしてから関係を始めてのです。母はこのような関係が続けば息子の子供を産む気持ちが強くなってくることを知っていたのです。

私が母との子供を産みたいと言ったときに、母は埋めない体にすることを本能的に判断されたのではないかと思います。小学6年生のときから母と夫婦生活のようにすれば、誰もがセックス上手になっていくことは当然だと思います。特に母が喜ぶクンニは誰にも負けないようなテクだと思っています。

そんなこともあって、母には内緒で同級生の女性や、会社の女性には随分手をつけ随分やりまくってきました。小さいときから母とのセックスで鍛えてきただけあって、何回やっても衰えない逞しいペニスに成長しているんです。母は妊娠の心配が無くなっていたので、思いっきり乱れて楽しんでいたのです。本当に色んなセックスの勉強をしてきました。

これまでやってきた女性はほぼ全ての女性が満足していました。でも結婚を迫られたこともあったのですが、母の病気が難病で大変なんだといって断ってきています。でも、彼女達は結婚している女性もいますが、電話すれば必ずあってくれます。

そんな女性達と抱き合っても、母以上の快楽を得ることはなく、母と別れることができません。私は母にこのような運命の中で生きていくようになっているのだろうといっています。母の体は若い女性に負けない魅力があって、それにセックスの楽しみ方が素晴らしく、こんな女性が母であってよかったと思っています。

ところで、母と伯父さんの関係は早く、お婆ちゃんが早く死に別れていたので、二人の子供を必死になって育てていたのに、こともあろうに母と実の兄が近親相姦の関係でお婆ちゃんがいないときにはいつも抱き合って快楽に身を任せていたそうです。母が話すには伯父さんが色んな話しているうちにいつもエッチな話になって、その内にキスしたそうです。小学生のときの話です。

母が小学6年生のときに始めて実の兄に抱かれ処女を失ったのです。その時伯父さんは中学2年生で、母は初めから少し感じて、これまでに感じたことのない快楽の世界に少し足踏み入れていたのです。二人とも妊娠のことは知っていたようですが、母が高校2年生のときに妊娠してしまって、私が生まれたのです。

母は高校を退学して、お婆ちゃんの妹である人のところでお産したそうです。母は私が少し大きくなってから実家に帰って働き始めたのです。その時にはまだ叔父さんがいて、時々母と抱き合っていました。伯父さんも母との関係は続けたかったのだろうと思います。でも必ず結婚することが条件だったので伯父さんの結婚式には母と二人で出席したことは覚えています。

そんな母が私との関係を早くから考えていたことは良く分かります。お婆ちゃんは母とこのような生活を続けていることは早くから知っていましたが、あっても上手く行っているのと聞くだけで変な風に考えていません。

お婆ちゃんが話すには昔はよくあったそうです。姉のお産の看病に来ていた妹に手を出した話など良くあっていたそうです。色んな近親相姦の話を聞くこともあって、最近はお婆ちゃんに会うのも楽しみになっています。



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