女優になりたくて、タレント養成所に入った私が先生とセックスしちゃった話


私は沖縄で生まれて、18歳で上京、

本当は女優になりたくて、

タレント養成所に6歳から通っていたのです。

現在は20歳です。

1○歳の時に、演劇を教えている先生に誘われて、

お休みの教室で抱きすくめられて、

その後アパートで処女を奪われました。

先生のことは最初から好きだったので、レ○プではありません。

私は14歳で身長が165㎝50㌔で、B75、W52、H76ありました。

オッパイも大きく運動会で、胸を揺らせて走ると、

男の子によくからかわれました。

ママに言ってブラジャーをつけました。

もちろんメンスもありましたし、タンポンを使っていました。

オナニーも友達に聞いて初めてクリトリスを触って、

快感を知っていました。

ですから先生に休みの日に出て来いと言われた時には、

もしかして処女を捧げるのかと思っていました。

先生に抱きすくまれた時には、

木綿のパンティーが少し濡れていました。

キッスをされて、Tシャツの前からいきなり

Cカップのオッパイを触られた時には、

もう抱かれても後悔しないと覚悟していました。

でも先生は淫乱だと知っているようで、

すぐにはアソコは触りませんでした。

でも先生のズボンの前が膨らんで、

私の下腹部に当ったので、勃起していると思いました。

「先生が抱きたければ、私も好きだし、コンドームを使ってくれたら、セックスをしてもいいよ」

と言いました。

「本当なのか、でもここにはそんな物を持っていないので、うちのアパートまで来るかい」

と言われて

「いいですよ」と返事しました。

夏の暑い日で、扇風機を回して、

万年床の敷いてある和室で、

全裸にされてすぐに勃起したチンポを持たされました。

先からはぬるぬるな液体が流れていました。

すぐにオメコを開かれて、薄い陰毛を搔き分けて、

クリトリスの皮を剥かれました。

白いカスが着いていてたぶんおし●こ臭かったと思います。

セックスすると解っていれば、

朝にシャワーぐらいは浴びてきたのに、

仕方ありません。

先生のペニスを初めて見ました。

先生のあそこはやはり皮を被っていて、

一気に自分の手で剥いていました。

やはり少し滓がついていました。

でも大きくなったペニスは子供のころ、

父親がママの裸の上でチンポを大きくして、

アソコに入れているのを見たことがあるのでそれ以来です。

「可愛いオメコだなぁ、お前はオナニーをしているだろう」

とクリトリスを触りながら聞きます。

「何でですか」と聞くと

「14歳にしては突起物が大きく立っているよ」というのです。

薄い陰毛を分けて、

饅頭型のアソコを開いてペニスを宛がいました。

「痛くしないでね」とお願いしました。

「わかっているよ、だって処女膜が見えるから」

と言いますが本当でしょうか。

先生のチンポはあまり大きくはないので、

これならあまり痛くはないだろうと思いました。

だってパパのものは物凄くでかくママが、

凄いよ~とわめいていましたから。

アソコが濡れてきて、

先生はコンドームをつけて、

先に唾をつけて入れてきました。

膝を大きく分けて、

アソコを見られるのはとても恥ずかしい思いでした。

少しずつ膣の中に入りました。

入り口が緊張でかなり締まっていて、

挿入に時間が掛かりました。

でも「痛いよ~」と言っているうちに、

膣の奥まで一気に根元まで入っていました。

少しの出血があり、先生も

「少し我慢しなさい」

とそんなには動きませんでした。

でも締め付けるようで、

10分もすると先生が突然

「おい、もう気持ちがいいから出すぞ~」

と言いながら射精をしたようです。

私のあそこからペニスを抜くと

コンドームの中には精液がたっぷりと溜まっていました。

私はなんとなく物足りない気持ちでしたが、

これでオンナになれた喜びみたいなものがありました。

「先生と結婚したいなぁ」というと

「それは無理だな」とそっけなく言いました。

あれから6年が経ちました。

先生とはその後3年間は週一で性交していました。

東京に出てきて、ママの妹が住んでいる田端に行き、

タレントスクールに入りましたが、

田舎者はすぐには無理だと実感してお金を稼ぐために、

今は風俗営業の吉原のお店でセックスをして、

月に40万円位は稼いでいます。

あの頃が懐かしいので、

初めてこのサイトに書き込みしました。



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